2011年03月08日
飛び出せ!青春 (ハプニング編 続き)
そのハプニングは突然やってきました。
昨日書いたように、夜の8時以降は外に出てはいけません。(夜間外出禁止令)
入国して一週間ぐらいだったかな!
その日はちょうど、現地で知り合った日本人旅行者のホテルでお酒を飲んでいました。
同じ旅行者同士、話もはずみ楽しいひと時を過ごしていました。
ふと腕時計を覗くと8時を10分ぐらい過ぎたあたり・・・。
「いけね~。俺、ホテル帰ります」
「大丈夫?8時過ぎてるよ。やめときな。禁止令出てるし。」
「大丈夫!大丈夫!すぐそこだし・・・。おやすみなさ~い。」
ホテルの人も「出ないほうがいい」と言ってくれたにもかかわらず、
「ノン プロブレマ(問題なし)」と、猛ダッシュを敢行しました。
自分のホテルまでは200mあまり・・・。
そこの角を曲がれば到着です。
「着いた。着いた。なんてことないじゃん。さあ寝よう。」と思った矢先、
曲がり角で、怖い顔をした兵士4人とバッタリ鉢合わせ・・・。
「まずい・・・。どうしよう・・・。ホテル出るんじゃなかった・・・」
(後悔先にたたず・・・)
むこうも突然現れた東洋系の顔をした不審者にビックリしたらしく、
ライフルを突きつけホールドアップの状態に・・・。
こちらもかなり動揺し、とっさに首からぶら下げていたパスポートを出そうと、
懐に手を入れてしまいました。
そっ、お解かりですか?
これは、一番危ない行為なんです。
相手は拳銃を出すと思ったらしく、兵士の一人が空に向けて自動小銃を威嚇射撃3発、パン、パン、パン!
「撃たれた~。・・・でもまだ生きてる~」
日本なら銃声がした時点で、「どうした?どうした?」と人が集まってきそうですが、
ここは内戦中のエル・サルバドル。軍事政権下の無法地帯です。
日常化しているのか、かかわりたくないのか、辺りは静まりかえっていました。
それからボディーチェックを受け、近くの詰め所に連行されてしまいました。
詰め所には10人くらいの兵士が駐屯しており、そのうちの鬼軍曹みたいな兵士による尋問が始まりました。
しかし早口のスペイン語なので、なにを言ってるのかさっぱり解らずチンプンカンプン状態・・・。
けれど、どうやら「おまえは中国から来た共産ゲリラだろ?」
「FMLN(ファラブント・マルティ民族解放戦線というエル・サルバドルのゲリラ名称)の仲間か?」
「仲間はどこにいる?」
みたいなことを言われているんだと理解できました。
ここで「はい」などと言おうものなら即効、処刑さらていたでしょう。
必死で「ノン、ノン(違う、違う)」
「ハポネス(日本人)」「ツーリスタ(旅行者)」「ノン FMLN(ゲリラじゃない)」と訴えました。
パスポートも見せたんだけど、英語が全く読めないみたい・・・・
それから2時間近く尋問は続きましたが、一向に釈放される気配はなし・・・。
おまけにムチで2回なぐられ(これが本当~に痛い・・・)、一時間ぐらい牢屋(というよりもブタ箱という言葉がぴったり)に入れられる破目に・・・。
窓もないような薄暗いところで、あまりの汚さと息苦しさ、悪臭に気絶するかと思いました。
「これから俺、どうなっちゃうのかな~」と心配しながら、長い長い一時間は過ぎていったのです。
ようやく牢屋の鉄扉が開きました。
釈放されると思ったのですが、今度は軍用トラックに乗せられてしまい、
なんと山の方角に向かって走り出しました。
自分の両隣と前には、ライフルをかまえた兵士が3人。
なにやら、ニヤニヤした顔でこちらを見ています。
「ヤバイ・・。これまじでヤバイよ~。ヤバ過ぎる・・・」
こわばった声で「ドンデバ?(どこに行くの)」と聞いても、兵士達は全く無視。
そのうち兵士の一人が、スコップを取り出し、なにやらスペイン語で叫び始めました。
スコップを見た瞬間、己の運命を悟りました!
「・・・・・山に連れて行かれ、穴を掘らされて、頭撃たれて、埋められる・・・・」
あまりの極限状態に腰が抜け(初めて経験した)、鼻からは血が大量に放出(これも初めての経験)。
まさに、パニック。放心状態に陥ってしまいました。
「俺、ここで殺されるんだ。お父さん、お母さん、ごめんなさい。親不幸な息子でした。
最後になんて言って死のう。ジオン公国に栄光あれ?天皇陛下万歳?○○ちゃん、愛してる~?
けど、けど、けど、まだ死にたくないよ~。助けてください~!何でも言うこと聞きますから~!」
山道を上ること約30分。
ようやく自分の処刑場(?)に到着しました。
そこは山の中にしては立派な建物が建っていました。
どうやら基地か司令部みたいな雰囲気。
そこでもまた、部屋に連れていかれ尋問されました。
けれど今度は、英語の話せる紳士的な、いかにも将校って感じの人でした。
その人と話すうちに、ようやく日本人だと認められ、誤解も解け無罪釈放となりました。
「外出禁止令がでているから、外へは出るな」
「ハポネス。これまでの部下の無礼を許してやってくれ!」
「釈放だ!行っていいぞ!この道を真直ぐ下れば市街だ」
夜が明ける頃、ようやく市街にたどり着き、ホテルに無事帰還を果たしました。
「助かった~。助かったよ~。ウエーーーーン。」
「・・・日本へ帰ろう・・・」
こうして約五ヶ月に及ぶアメリカ旅行は幕を閉じたのでありました。
トムパパ
*ここに書いたことは、すべて事実です。
危うく海外行方不明者リストに載るところでした。
いまとなっては、笑い話ですけどね!
みなさん、知らない土地での行動は慎重にしましょうね!
旅に出ていた当時、日本ではトレンディードラマが流行っていたそうで、
「東京ラブストーリー」も、カンの「愛は勝つ」も知らなかった自分は、
しばらくの間、まわりから浦島太郎君と呼ばれました。
チャンチャン!!!
昨日書いたように、夜の8時以降は外に出てはいけません。(夜間外出禁止令)
入国して一週間ぐらいだったかな!
その日はちょうど、現地で知り合った日本人旅行者のホテルでお酒を飲んでいました。
同じ旅行者同士、話もはずみ楽しいひと時を過ごしていました。
ふと腕時計を覗くと8時を10分ぐらい過ぎたあたり・・・。
「いけね~。俺、ホテル帰ります」
「大丈夫?8時過ぎてるよ。やめときな。禁止令出てるし。」
「大丈夫!大丈夫!すぐそこだし・・・。おやすみなさ~い。」
ホテルの人も「出ないほうがいい」と言ってくれたにもかかわらず、
「ノン プロブレマ(問題なし)」と、猛ダッシュを敢行しました。
自分のホテルまでは200mあまり・・・。
そこの角を曲がれば到着です。
「着いた。着いた。なんてことないじゃん。さあ寝よう。」と思った矢先、
曲がり角で、怖い顔をした兵士4人とバッタリ鉢合わせ・・・。
「まずい・・・。どうしよう・・・。ホテル出るんじゃなかった・・・」
(後悔先にたたず・・・)
むこうも突然現れた東洋系の顔をした不審者にビックリしたらしく、
ライフルを突きつけホールドアップの状態に・・・。
こちらもかなり動揺し、とっさに首からぶら下げていたパスポートを出そうと、
懐に手を入れてしまいました。
そっ、お解かりですか?
これは、一番危ない行為なんです。
相手は拳銃を出すと思ったらしく、兵士の一人が空に向けて自動小銃を威嚇射撃3発、パン、パン、パン!
「撃たれた~。・・・でもまだ生きてる~」
日本なら銃声がした時点で、「どうした?どうした?」と人が集まってきそうですが、
ここは内戦中のエル・サルバドル。軍事政権下の無法地帯です。
日常化しているのか、かかわりたくないのか、辺りは静まりかえっていました。
それからボディーチェックを受け、近くの詰め所に連行されてしまいました。
詰め所には10人くらいの兵士が駐屯しており、そのうちの鬼軍曹みたいな兵士による尋問が始まりました。
しかし早口のスペイン語なので、なにを言ってるのかさっぱり解らずチンプンカンプン状態・・・。
けれど、どうやら「おまえは中国から来た共産ゲリラだろ?」
「FMLN(ファラブント・マルティ民族解放戦線というエル・サルバドルのゲリラ名称)の仲間か?」
「仲間はどこにいる?」
みたいなことを言われているんだと理解できました。
ここで「はい」などと言おうものなら即効、処刑さらていたでしょう。
必死で「ノン、ノン(違う、違う)」
「ハポネス(日本人)」「ツーリスタ(旅行者)」「ノン FMLN(ゲリラじゃない)」と訴えました。
パスポートも見せたんだけど、英語が全く読めないみたい・・・・
それから2時間近く尋問は続きましたが、一向に釈放される気配はなし・・・。
おまけにムチで2回なぐられ(これが本当~に痛い・・・)、一時間ぐらい牢屋(というよりもブタ箱という言葉がぴったり)に入れられる破目に・・・。
窓もないような薄暗いところで、あまりの汚さと息苦しさ、悪臭に気絶するかと思いました。
「これから俺、どうなっちゃうのかな~」と心配しながら、長い長い一時間は過ぎていったのです。
ようやく牢屋の鉄扉が開きました。
釈放されると思ったのですが、今度は軍用トラックに乗せられてしまい、
なんと山の方角に向かって走り出しました。
自分の両隣と前には、ライフルをかまえた兵士が3人。
なにやら、ニヤニヤした顔でこちらを見ています。
「ヤバイ・・。これまじでヤバイよ~。ヤバ過ぎる・・・」
こわばった声で「ドンデバ?(どこに行くの)」と聞いても、兵士達は全く無視。
そのうち兵士の一人が、スコップを取り出し、なにやらスペイン語で叫び始めました。
スコップを見た瞬間、己の運命を悟りました!
「・・・・・山に連れて行かれ、穴を掘らされて、頭撃たれて、埋められる・・・・」
あまりの極限状態に腰が抜け(初めて経験した)、鼻からは血が大量に放出(これも初めての経験)。
まさに、パニック。放心状態に陥ってしまいました。
「俺、ここで殺されるんだ。お父さん、お母さん、ごめんなさい。親不幸な息子でした。
最後になんて言って死のう。ジオン公国に栄光あれ?天皇陛下万歳?○○ちゃん、愛してる~?
けど、けど、けど、まだ死にたくないよ~。助けてください~!何でも言うこと聞きますから~!」
山道を上ること約30分。
ようやく自分の処刑場(?)に到着しました。
そこは山の中にしては立派な建物が建っていました。
どうやら基地か司令部みたいな雰囲気。
そこでもまた、部屋に連れていかれ尋問されました。
けれど今度は、英語の話せる紳士的な、いかにも将校って感じの人でした。
その人と話すうちに、ようやく日本人だと認められ、誤解も解け無罪釈放となりました。
「外出禁止令がでているから、外へは出るな」
「ハポネス。これまでの部下の無礼を許してやってくれ!」
「釈放だ!行っていいぞ!この道を真直ぐ下れば市街だ」
夜が明ける頃、ようやく市街にたどり着き、ホテルに無事帰還を果たしました。
「助かった~。助かったよ~。ウエーーーーン。」
「・・・日本へ帰ろう・・・」
こうして約五ヶ月に及ぶアメリカ旅行は幕を閉じたのでありました。
トムパパ
*ここに書いたことは、すべて事実です。
危うく海外行方不明者リストに載るところでした。
いまとなっては、笑い話ですけどね!
みなさん、知らない土地での行動は慎重にしましょうね!
旅に出ていた当時、日本ではトレンディードラマが流行っていたそうで、
「東京ラブストーリー」も、カンの「愛は勝つ」も知らなかった自分は、
しばらくの間、まわりから浦島太郎君と呼ばれました。
チャンチャン!!!
Posted by トムママ at 18:55│Comments(2)
│私事(トムパパ)
この記事へのコメント
まだまだ隠しているハプニングがあるはずだが、
あの時は 無茶苦茶お母さんが心配してたんだわなぁ
今となったらその気持ちもよくわかる歳になったねぇ。
あの時は 無茶苦茶お母さんが心配してたんだわなぁ
今となったらその気持ちもよくわかる歳になったねぇ。
Posted by itou at 2011年03月10日 00:03
えーえー、そのとうり。
最近は、すかっり落ち着いちゃったよ。
やっぱり親になってみんとわからんね~。
他のハプニングはこのブログではちょっと・・・。
また、バーベキューやるまい!
最近は、すかっり落ち着いちゃったよ。
やっぱり親になってみんとわからんね~。
他のハプニングはこのブログではちょっと・・・。
また、バーベキューやるまい!
Posted by トムパパ at 2011年03月10日 12:25